-
対象
六代目
-
種類
掛け軸
-
名称
六代目尾上梅幸像
-
作者
栄秀
詳細
梅幸の名は初代以降代々菊五郎を名のる役者の俳号(俳句作者としての雅号)である。 六代目梅幸は、三代目菊五郎の孫、尾上朝次郎の子として、明治三年(1870)名古屋でうまれた。 明治十五年(1882)五代目菊五郎の養子となり、栄之助、栄三郎の名を経て、梅幸を襲名したのは三十三歳であった。 明治四十四年(1911)、帝国劇場が新築されると技芸委員長となり、 女形でありながら座長等に就任して、当時最高峰にあった五代目歌右衛門に対し、 お富・三千歳・お岩・うんざりお松・切られお富など世話物で伝法肌の役で至芸を発揮した。 大正五年(1916)以後二枚目(美男子役)のほかは演じない十五代目市村羽左衛門と近代無比の夫婦コンビを組み、「三千歳直侍」「十六夜清心」「塁与衛門」の江戸情緒を伝える名舞台は今も語り草となっている。 若くして父菊五郎の相手役をつとめ、時代物(江戸期以前の鎌倉、室町の昔を扱った芝居)のほか、新作舞踊劇にも実力を示した。 身長にも恵まれ、やや面長な気品のある容貌、五代目直系の尾上家の芸を集大成した芸談集「梅の下風」は、屈指の名著として、女形の総師たる彼の人柄がうかがえる。