俳句の「夏きくや、岩本地の 波の花」は菊之助に掛けていると思われます。

五代目尾上菊五郎の当り役百首を選び、明治26〜27年に刷られた豊原国周の大錦絵(約25cm×23cm)を貼り、上には相手役のコマ絵(約10×12cm)と阿心庵機吟の俳句(約10×8cm)が貼られています。広げると横幅約12m前後の表裏にそれぞれ50種を貼った豪華帖装本になっています。 原紙の錦絵のカットの仕方や貼り合わせ方等により製本サイズが少しずつ違う、当時の手製本です。 九代目市川団十郎の当り狂言百首を集めた「団十郎百番」にならって刊行された百枚の揃物で、時代物だけでなく散切り物なども収められている貴重な資料でもあります。

五代目さんは三代目を常々「祖父のおかげで」と敬愛していたそうで、明治14年(三十三回忌)にこの綴りを作られました。 上巻にはゆかりの方々の様々な絵や歌などを綴じて、広楽寺からの手紙で締めくくり。 下巻の後半には五代目さんの歩みを記して、最後に五代目さんの述懐で閉じられています。 役者さんは、絵や歌や書などにも秀でていることがうかがえますね。

五世尾上菊五郎門人達が明治29年に、当時の広楽寺(紺屋町)参道入り口に建てた記念碑です。裏側には尾上音五郎を発起人として、尾上松助から33名の門人の名が刻まれています。